悲劇のヒロイン、唐人お吉
昨日は陛下のお迎えでしたが、皇太子殿下の時とは違う
警備の人たちや車列も違うし静岡県知事などもお出迎えです。
写真は安直楼で明治の建物です、お吉さんが晩年開いた
小料理屋です、以前は寿司屋として営業もしていましたが
今は観光施設として開放しています。
さて、唐人お吉さん、本名斎藤きちは天保12年に知多半島
生まれで船大工の父一家と4歳の時下田に来ました。
14歳で芸妓になり、新内暁烏のお吉と歌われるほどの美人でした。
17歳の時、幕府の開港で下田にアメリカ領事館が出来ました。
下田奉行は法外な年棒と引き換えに玉泉寺のハリス総領事のもとに
待妾として奉公に上がります。
実際にはハリスは看護の人を頼んだようですが、当時お吉のほか
3~4人奉公に上がりましたが、お吉のみが有名になっています。
その間、風邪を引いたハリスのために近在を回り牛乳を買い集めています。
そんな関係で下田が牛乳発祥の地として森永乳業が記念碑を立てました。
その後は洋妾(ラシャメン)とさげすまれ、晩年は小料理屋も
うまくいかず、明治24年3月27日失意のうちに身投げをしました。
享年51年の時代にほんろうされた、あまりにも悲しい終幕でした。