テンちゃん便り(江戸時代の磯争い記念碑。)

いそさん

2011年05月10日 09:50



今日も南西の風が強くなりました。
東北の被災地に吹き込む風です、風で砂埃がすごいでしょう。

 さて、ぼくの立っている後ろには250年前の江戸時代
近隣の下田町と柿崎村との磯の境界争い勝訴の記念碑です。

 江戸時代、船が難破するとその船の積み荷は地先の村が半分
とる事ができましたので、磯の境界は死活問題でした。
そこで境界争いが起き、須崎は天領地でしたので韮山の代官
江川太郎左衛門に訴えましたが、結論が出ないので江戸表まで
訴えました、その結果須崎の言い分が通り勝訴しました。

 なにしろ250年前のことですが、村の記録として
とーちゃん区長が管理しています。
とーちゃんの家は代々「土屋傳兵衛」が襲名ですが、先祖も
村役で参加してます。
記録を読んでみますと、当時の村役も偉かったですが
村民も「分限帖」を作りその当時の収入に合わせ十等級に分け
村中がお金を出して裁判に勝ちました。

 今の柿崎の砂浜のはずれから外浦の砂浜の手前まで須崎領
となりました、江戸時代は海水浴客などいませんし又砂浜では
海産物は取れませんので、子孫に豊穣の海を残してくれました。

 家のとーちゃん区長もいろんな事をしているので名前が
時代に残りそうです・・・。テンちゃんより。


関連記事