2015年01月26日
昨夜の花燃ゆからの類推。

写真はアメリカ艦隊 提督のぺりーの胸像です。
松蔭の密航談判の後日米和親条約(下田条約)締結のため了仙寺の
会場に行くため上陸した地に立っています。
この時の様子は写真のなかった時代、従軍画家の描いた境内で
整列する米兵300人がペリーの遠征記に描かれています。
さて、昨夜の大河ドラマの続きですが、松蔭は米艦に乗り込み
渡航を訴えますが、まだ条約締結前であるので時期が早いのでだめと
断られます。
その時すでに乗ってきた伝馬舟は須崎の福浦に流れ着いております。
この船に密航についての重要書類が残されていたのです。
時は1854、3、27日 安政元年3月27日の深夜です。
この時の須崎村の名主は土屋伝兵衛と言い私の5代前の先祖です。
おそらくその舟を奉行所に届け出たのは先祖と思はれるが
村の古文書にも我が家にも記録はありません。
私の祖母(いそ)は松蔭先生を一時預かった柿崎名主の家から
嫁に来ていますので何かその時代にあったような気がいたします。
Posted by いそさん at 08:10│Comments(0)
│いそさんのひとり言