2015年05月08日
須崎にあるお台場砲台跡。

下田湾は天然の風待ち港として栄えましたが、須崎半島が
南に張り出し風よけを作りました。
そのぶん下田港の先端に位置するので、港の湾口の防備には
江戸時代から目をつけられていた場所です。
寛政五年、時の老中松平定信は異国船の近海出没に備え沿岸警備の
強化の為、江戸より総勢400名で画家の谷文晁まで同行し須崎を
視察しました。
昨日も書きましたが大砲を鋳造する反射炉を下田に準備し建てようと
しているところにペリー艦隊が来たため秘密保持のため現在ある韮山に
準備した資材も移動して立てたものであります。
この時の代官は江川太郎左衛門でしたが、伊豆は天領地ですので
殿様はおりませんでしたが、お代官様は須崎にも来られ記録にはありませんが
江川の殿様が須崎で釣りをされたという伝えのある(代官島)があります。
写真はペリー艦隊サスケハナ号を模した港内遊覧船です。
左義長、どんどん焼きを作る。
水仙祭りの青空市。
明日から下田・須崎の水仙祭りが始まります。
ジャズ、爪木崎マイラブ、作詞作曲ハ月薫子さんです。
お彼岸の中日(暑さ寒さも彼岸まで)
下田のあじさい祭りとイージス艦事故。
水仙祭りの青空市。
明日から下田・須崎の水仙祭りが始まります。
ジャズ、爪木崎マイラブ、作詞作曲ハ月薫子さんです。
お彼岸の中日(暑さ寒さも彼岸まで)
下田のあじさい祭りとイージス艦事故。
Posted by いそさん at 09:17│Comments(0)
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