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2010年03月30日

吉田松陰上陸の碑。

吉田松陰

この寒さはなんですか、2月の気候だそうです。
下田の温泉旅館、海辺のお宿「ホテルいそかぜ」のいそさんです。

 下田市須崎字福浦にある「吉田松陰上陸の碑」です。
松陰は弟子、金子重之輔と共に海外密航を決意し柿崎の弁天島から伝馬舟を
漕ぎ出し黒船の旗艦ポーハタン号に乗り付けました。

 この間の龍馬伝では龍馬が見送っていましたが、フィクションです。
艦に上がった松陰はアメリカ側と談判しましたが、海外渡航は国禁だったことからぺりーに
送り返されました、この時松陰が乗ってきた伝馬船は流されていました。

 この船に渡航の書類が見つかったことで発覚しました。
ペリーはバッテラー(ボート)でこの地福浦に送りました。

 その日は156年前の3月27日の払暁の事でした。
この時の須崎の名主は土屋伝兵衛で私の祖先ですが奉行に届けた
記録はありませんでした。

  この記事は3月29日の分です。  


Posted by いそさん at 20:00 Comments(0)

2010年03月20日

テンちゃん便り(龍馬と唐人お吉)

 今日は春うららかな日ですが、明日からは又春の嵐らしいですよ。
下田の温泉旅館、海辺のお宿「ホテルいそかぜ」のいそさんです。
龍馬とお吉

 春の嵐で咲きだした桜が吹き飛ばないか心配です。
さて、龍馬もお吉もこの宝福寺で接点があります。
龍馬はこの寺の座敷で土佐藩主、山内容堂と龍馬の師匠、勝海舟との談判で脱藩が
許されました、それからわずか5年後の龍馬の誕生日に暗殺されます。

 お吉は本名、斉藤きち、といい天保12年生まれ、愛知の知多郡生まれです。
下田に移り住み14歳で芸妓に、美人で新内明烏のお吉として有名でした。
17歳の時法外な年棒と引き換えにアメリカ総領事の居る柿崎、玉泉寺の
タウンゼントハリスの元に奉公にあがります。

 お吉も龍馬も同じ時代の空気を下田で吸っていました。
歴史に「もしも」はありませんが、龍馬、松陰、海舟、歴史上の人物が
下田で遭遇していたら違った歴史があったでしょうね・・・・。
                         おわり、テンより。  


Posted by いそさん at 20:00 Comments(0)

2010年03月19日

テンちゃん便り(龍馬と松陰と勝海舟)

このところチョウ忙しく書く暇がありません、今日は地元の小、中学校の卒業式で
一日つぶれました、昨日は須崎の総会資料つくりでした、田舎の区長も忙しいものです。
下田の温泉旅館、海辺のお宿「ホテルいそかぜ」のいそさんです。
龍馬と下田

 今、龍馬ブームです、鳩山代議士まで竜馬の話をしています。
龍馬の自作の句に「世の人は われをなにとも ゆはばいへ わがなすことは われのみぞしる」
龍馬は下田で脱藩を許されてから飛翔しました。

 龍馬も松陰も佐久間象山の門下生ですのですれ違うぐらいはしたかも知れません。
松陰は下田湊から密航しようとしましたが、夢破れました。

 その時、150年前でした、その意思を継ぎ竜馬の先生、勝海舟は咸臨丸でアメリカに渡りました
サフランシスコでは咸臨丸入港、150年記念銘版の除幕式が行はれました。
この遣米使節団一行の中には慶応大学の福沢諭吉もいます。
戸田でロシヤの軍艦を作った伊豆の船大工も大勢乗り込んでいました。

 ぼくも外国へいって見たいなあ・・・。   テンより。  


Posted by いそさん at 19:52 Comments(0)

2010年03月09日

下田・開国記念館のおすすめ。

 昨日の寒さは天城山は雪だったようです、寒さがきついですですねえ。
下田の温泉旅館、海辺のお宿「ホテルいそかぜ」のいそさんです。
開国記念館

 下田市の最大のイベントは「黒船祭」です、5月14日から3日間開催されます。
下田の歴史の中には、黒船、ぺりー、ハリス、お吉、日米、日露和親条約、吉田松陰
勝海舟、山内容堂、坂本龍馬、徳川慶喜、アメリカグルー大使など等の事実があります。

 下田の歴史上の事実がひと目で体感できます、下田にお越しの節は是非おすすめします。  


Posted by いそさん at 20:00 Comments(0)

2010年03月06日

テンちゃん便り(龍馬とお吉だ~。)


龍馬とお吉

昼間は大雨ですねえ、蒸してきて暑くなりそうです。
下田の温泉旅館、「ホテルいそかぜ」のアイドルテンです。 

 唐人お吉のお墓のと龍馬、脱藩を幕臣勝海舟と土佐藩主が談判した宝福寺境内です。
あしたも、「龍馬伝」が放映されます、下田では龍馬が脱藩してから日本の歴史に
足跡を残した故事に習い市を挙げて誘客に取り組んでいます。

 竜馬の歴史は幕末ですが、唐人お吉は明治の中ごろ入水自殺をしました。
龍馬もお吉も下田湊が風待ち港で多くの帆船が立ち寄った為生まれたものでしょう。

 私が小さい頃お吉を見た人がいて話を聞くことができましたが、きれいな人だった。
愛知県の常滑の人で下田の人ではなかったので異人さんに出したのか知れません。

 それにしても、当時の役人は五両の支度金を呉れています。
わずか三日で返されているのが歴史の事実です。  


Posted by いそさん at 19:30 Comments(2)

2010年02月20日

テンちゃん便り(明日の晩も龍馬だ・・・。)


龍馬とキリンビール

 春らしい陽気になりました、身も心もうきうきしてきます。
下田の温泉旅館、海辺のお宿「ホテルいそかぜ」のいそさんです。

 今朝は天気が良いので散歩の足を伸ばしました。
ところで、龍馬と勝海舟、山内容堂との脱藩の許しをこの宝福寺で受けました。

 龍馬と武市半平太、岩崎弥太郎が登場します。
岩崎弥太郎は三菱財閥の生みの親ですが、龍馬の海援隊を引き継ぎ財を成しました。
その三菱系にキリンビールるがあります、ビールのラベルは坂本龍馬にちなみ龍が描かれています。

 三菱系はレストランなどでもキリンビールしかのまず徹底していました。
とーちゃんは若いころ御茶ノ水のコペンハーゲンの支配人でサントリービールでしたので
三菱関係のパーティでは苦労したそうです。
                            テンより。
   


Posted by いそさん at 19:20 Comments(2)

2010年02月06日

テンちゃん便り(明晩は坂本竜馬だ。)


坂本龍馬

 裏日本は大雪です、表日本は大風で冷え込みます、寒さに気をつけて下さい。
下田の温泉旅館、『ホテルいそかぜ』のアイドル、てんちゃんです。


 あすは坂本龍馬の放映です、吉田松陰、金子重之輔の二人は深夜闇にまぎれて
アメリカの黒船に「渡海の企て」を敢行します。

 ぼくのいる場所はその吉田松陰先生の伝馬船が黒船で談判中に舫いが外れ流れ着いた所です。
そこに記念碑が建っています、昔は波打ち際でしたが今は埋め立てられています。

 この伝馬船に渡航密書が残されており、下田奉行所に差し出されたため
吉田松陰は自ら名乗り出ます、それからは歴史書のとおり江戸、萩から江戸小塚原の刑場で
斬首の刑になります、このことが維新回天の原動力になりました。

 下田での吉田松陰と坂本龍馬は日本の夜明けを呼んだといっても過言ではないでしょう。
生意気なこと言いましたが、歴史が生きている町はいいよ~。    テンより。  


Posted by いそさん at 20:00 Comments(2)

2010年01月28日

北方領土は下田から発信。

北方四島

 前線通過で雨上がりには、大風と一段と寒くなりますよ。
下田の温泉旅館、海辺のお宿「ホテルいそかぜ」のいそさんです。


 下田にある日露和親条約の調印舞台となった長楽寺です。
2月7日にロシヤのプチャーチンと徳川幕府は日本とロシヤの国境を決めたのです。

 今の北方返還の原点はこの条約が原点となりました。
択捉(エトロフ)国後(クナシリ)色丹(シコタン)歯舞(ハボマイ)は日本領と明記してあります。

 下田は幕末にはアメリカ、ロシヤ、フランス、イギリスの艦隊が来て風雲急を告げる時代でした。  


Posted by いそさん at 09:55 Comments(0)

2010年01月23日

テンちゃん便り(ぼくと坂本龍馬像。)

坂本龍馬像

ホテルの仕事は暇ですが、他の仕事が忙しいようです。
下田の温泉旅館「ホテルいそかぜ」のテンちゃんです。

 明日の晩は龍馬伝です、前回の道中と川で休んでいるシーンは河津町の天城山中です。
河津桜や七滝(だる)の上流で旧天城街道での撮影です。

 写真の龍馬像は樹齢三百年で三メートルの杉の大木をチェーンソー作り上げたものです。
お吉の菩提寺の宝福寺の境内です、この建物の奥に勝海舟と山内容堂との謁見の間があります。
この寺で龍馬の脱藩が許され大きく龍馬は歴史に飛翔した原点が下田でした。

 ぼくも見物してきたけど人がいっぱいでびっくりしたよ。     テンより  


Posted by いそさん at 18:36 Comments(2)

2010年01月06日

テンちゃん便り(坂本竜馬の紙人形)







今日は一点晴れました、でも寒いですねえ。
下田の温泉旅館『ホテルいそかぜ』のテンです。

 夜はとーちゃんの布団にもぐり込みますので朝の散歩は寒さが身に応えます。
今年は竜馬伝ブームが起きそうです、家の92歳になるおばあちゃんが竜馬人形を作りました。

 NHK,の竜馬伝の放映では3回目から6回目まで須崎をベースにして撮影され下田が舞台の
シーンがでます、しかも6回目の放映では吉田松陰の踏海の企て場面に竜馬が駆けつける設定になっています、
下田は竜馬にとっても足かせとなっていた脱藩が許され、その後の大きな飛躍に繋がる場所なのです。

 ぼくは、お散歩の帰りにおばあちゃんの隠居によってウインナーを貰うのが日課です。
ホテルのフロントに飾ってありますのでご覧下さい・・・バイバイ。
alt="竜馬伝" >  

Posted by いそさん at 09:45 Comments(0)

2010年01月04日

テンちゃんと竜馬伝。

竜馬伝

昨夜、竜馬伝見ましたか、今日は宝福寺に行ってきました。
下田の温泉旅館『ホテルいそかぜ』のテンです。
新年明けましておめでとうございます、本年もよろしくお願いします。
 

 竜馬伝は始まったばかりですが、竜馬が一月三十一日下田に黒船を見に来るシーンが放映されますが
十一月に須崎の漁民会館を基点に撮影が進められました。
放映のシーンは爪木崎の「たかんば」です、その他いろいろのシーンに下田の海岸線がでます。

 さて、幕末、維新回天の前夜、竜馬の土佐藩脱藩の許しをお願いする為、藩主山内容堂と
竜馬の恩師、勝海舟がこのお寺で会談をしました。
このお寺には容堂、海舟謁見の間があります。

 ぼくは歴史のことは判りませんが、見学者が大勢いました。  


Posted by いそさん at 17:46 Comments(0)

2009年06月15日

下田城址、下田公園について。


下田城址

みなさん、こんにちは。下田公園の案内をします。
下田の温泉旅館、海辺のお宿「ホテルいそかぜ」のいそさんです。

 今、下田「あじさい祭り」が開催されている下田公園です。
12チャンネルで取り上げたそうで昨日の見物客は大賑わいでした。

 この下田公園は420年前、太閤秀吉が小田原の北条家を攻める時
秀吉軍の水軍を迎え撃つ海賊城(当時は水軍を海賊と呼んだ)として
下田城とよばれていた。

 わずか600人の城兵で豊臣連合軍14000人と戦い50日篭城しました。
西軍の軍師、安国寺に無血開城しました。
私は下田城の復元を考える会の理事もしています、昨日は静岡大学、大和田哲男名誉教授の
講演会を開き、夜にはホテルいそかぜでお泊り頂き会員で親しく囲む会も開きました。

 小和田先生はnhk の天地人で時代考証などもしています。
下田は黒船祭りに代表されますが、幕末ばかりではなく江戸時代が始まる前の歴史が
あることに誇りをおぼえます。

 小和田先生の講演では420年前の空堀など開発されず手付かずで残されているのは
全国的にもめずらしので保存すべきであろうと言うことでした。  


Posted by いそさん at 14:43 Comments(3)

2009年06月09日

写真の開祖、下岡蓮杖顕彰碑。

写真の開祖
 みなさん、おはよう。下田が生んだ写真の開祖、下岡蓮杖のご案内です。
下田の温泉旅館、海辺のお宿「ホテルいそかぜ」のいそさんです。

 下岡蓮杖は商業写真の開祖として称えられています。
場所は下田公園、開国記念碑の近くに蓮杖台があります。

 蓮杖の本名は桜田と言いますが、下田、岡方村の出身で下岡となのりました。
黒船来航の折,水兵から英語を習い黒船が横浜に移ったので横浜で写真術を習得しました。

 下田公園は五月の黒船祭、六月のあじさい祭りなどメーン会場です。
下田にお越しの際はぜひお立ち寄り下さい。  


Posted by いそさん at 09:11 Comments(0)

2009年05月16日

開国記念館。

開国記念館

 みなさん、こんにちは。開国記念館を案内します。
下田の温泉旅館、海辺のお宿「ホテルいそかぜ」のいそさんです。

 黒船祭りもきのうから始まりました、昨夜の花火大会は見事なものでした。
今日もイベントが目白押しです、私も公式行事が多くブログを書く間が無く困っています。

 下田開港150年です、横浜でも記念イベントは下田の100倍の大きさで開催されているようです、
しかし150年前久里浜から下田に廻航された黒船を追って神奈川から歩いて下田に
吉田松陰先生はきました。

 蓮台寺の温泉で皮膚病を治療したことが知られています。
下田に滞在したのはわずかの期間でしたが停泊中の黒船に乗ることを談判し
断られました、国禁を犯すことをアメリカ側が嫌ったことと先生の皮膚病のことも原因のようです。

 幕末の時代、広く世界を見ようとしたことには感銘を受けます。
下田の牢獄から萩に帰り松下村塾を作り明治の元勲を多く輩出しました。

 坂本竜馬も下田で脱藩を許され飛翔しました。
吉田松陰先生も下田からがスタートでした、歴史の偶然は面白いですね。  


Posted by いそさん at 15:32 Comments(0)

2009年04月17日

歴史の町、伊豆下田の湊、ご案内。


下田港

みなさん、こんばんは。
下田の温泉旅館、海辺のお宿「ホテルいそかぜ」のいそさんです。

 写真は下田湾を見下ろす寝姿山ロープウェーィの上から見た俯瞰図です。
この小さな湊が幕末開港の舞台になりました。
黒船艦隊は湾内に見える小さな島二つの間に錨を下ろしました。

 吉田松陰先生の密航計画は、この島の間に居たペリー提督の船に行き断られました。
また、ロシアのプチャーチン提督と日露和親条約を結び北方四島(国後、択捉等)を決めましたが
運悪く安政の大地震に遭い船は大破しました。

 下田湊から修理のために戸田港に曳航しましたが沈没しました。
この船を新造する為に下田の船大工が参加し、咸臨丸にも乗り込みました。
湾内の左側くびれた地域が日本最初の米国領事館の玉泉寺です。
右側はペリー上陸地や下田条約を締結した了仙寺があります。

 こんな小さな湊町が日本開国の扉を開けました。
ちなみにホテルいそかぜは正面岬の先端に位置します。  


Posted by いそさん at 17:46 Comments(0)

2009年04月13日

テンちゃん便り(春爛漫の紫ツツジ)


紫ツツジ

 みなさん、こんにちは。ぼくてんちゃんで~す。
下田の温泉旅館、海辺のお宿「ホテルいそかぜ」のアイドルです。
このごろ、ぼくに会いに来てくれるお客様がいます。
ぼくは、そんな時は嬉しいです。

 きょうのお散歩では、須崎街道の見事な紫ツツジが満開でした。
聞いてみた所50年以上経つそうです。
あまり香りはないですが、立派なツツジでみんな立ち止まって見ています。

 もとは野山に咲いていたのを移植したそうです。
この他にもいろんな春のお花が咲いています、又明日紹介します。 バイバイ。  


Posted by いそさん at 14:35 Comments(0)

2009年04月13日

テンちゃん便り(春爛漫の紫ツツジ)


紫ツツジ

 みなさん、こんにちは。ぼくてんちゃんで~す。
下田の温泉旅館、海辺のお宿「ホテルいそかぜ」のアイドルです。
このごろ、ぼくに会いに来てくれるお客様がいます。
ぼくは、そんな時は嬉しいです。

 きょうのお散歩では、須崎街道の見事な紫ツツジが満開でした。
聞いてみた所50年以上経つそうです。
あまり香りはないですが、立派なツツジでみんな立ち止まって見ています。

 もとは野山に咲いていたのを移植したそうです。
この他にもいろんな春のお花が咲いています、又明日紹介します。 バイバイ。  


Posted by いそさん at 14:35 Comments(0)

2009年03月21日

黒船祭、初代アメリカ総領事館、玉泉寺。


初代アメリカ総領事館

みなさん、こんにちは。今日はいい天気ですが明日は又崩れるようです。
下田の温泉旅館、海辺のお宿「ホテルいそかぜ」のいそさんです。 

この2・3日私用で出張が多くお休みしました。
18日には防衛省の招待で自衛艦「ひゅうが」の自衛艦旗授与式に行ってきました。
「ひゅうが」は日本初のヘリコプター空母でその大きさと音楽隊の軍艦マーチに圧等されました。

 さて、日米友好の黒船祭も基はタウンゼント・ハリス総領事が玉泉寺に住んだことから始まりました、黒船物語や黒船哀歌でお吉が有名ですが、フィクションです。

 写真の木は境内にある何代目かの堵殺木です、ハリス用にこの木に牛をつなぎ堵殺しました。
なにしろ下田に外国人が住むのは初めてのことで、椅子テーブルでワインを飲み箸でなく
ナイフフォーク食べ囲炉裏でなくストーブでしたこの寺にはその当時空けた煙突の跡があります
下田の人々はさぞ驚いたことでしょう。

 このほか玉泉寺には日本で最初に牛乳を取った所として牛乳の碑もあります。
その頃の古文書に毎日牛乳を2升届けたと有ります。
この他にも第36代アメリカ大統領ジミー・カーター来訪記念碑や大統領直筆の碑もあります・

 日米友好の発祥の地は下田ですが、厳密にはこの寺と下田市民の交わりが友好に貢献したと思います。それを記念しての黒船祭です。
下田に来ましたら是非足を伸ばしてお立ち寄り下さい。  


Posted by いそさん at 16:37 Comments(0)

2009年03月16日

黒船まつり(日本最初の領事館)


玉泉寺

こんにちは、午後から又風が吹いてきましたねえ。
春とはいえ、冷え込んでくるでしょう、みなさん体調には気をつけましょう。

 下田の温泉旅館、海辺のお宿「ホテルいそかぜ」のいそさんです。

日本最初のアメリカ総領事館が置かれた玉泉寺の入り口です。
その昔、嘉永7年日米和親条約が締結されるとこの玉泉寺はタウンゼント・ハリスが
日本初の領事館としました、庭には星条旗が始めて上がりました。

 その時代、お吉やハリスがこの石段を上り下りしたのでしょう。
玉泉寺は米人の休息所、埋葬所になっていました。
ペリーや艦隊の乗り組み員がこの石段を登ったことでしょう。

 この寺にはアメリカ・ロシヤの水兵のお墓が建っています。
黒船まつりではアメリカはまず最初にアメリカ軍主催の墓前祭を行い黒船祭の幕開けになります。

 柿崎地区の古老に言い伝えを聞きますと、浜にアンペラをひいて赤い血を飲んでいる
怖くて雨戸の隙間からのぞいた、と言う言い伝えがあったそうです。
おそらくぶどう酒でも飲んでいたのでしょうが、当時の市民の狼狽振りが判る逸話です。
  


Posted by いそさん at 13:00 Comments(0)

2009年03月05日

吉田松陰先生の碑。

うみべのおやど松陰の碑"

 みなさん、おはよう。
下田の温泉旅館、海辺のお宿「いそかぜ」のいそさんです。


 この碑は150年前、松陰先生がアメリカに密航しようとして隠れた
柿崎の弁天島に建つ吉田松陰、弟子の金子重輔の碑です。
金子重輔は先生より早く牢死しています、吉田松陰は江戸の刑場で斬首されました。

 吉田松陰は密航に失敗後、柿崎村名主「増田平衛門」に申し出ています。
私の祖母の親、私から数えて4代前のおばあさんは、名主の家には石橋が架かっていますが
先生がお駕籠で下田の牢獄に出発する朝、松陰先生に頭をなぜられたと私の父が親から
聞いた話としてよく言っていました。

 また、この名主の家には乃木希典大将が下田に視察に来た時、松陰先生が名主の家の蔵に幽閉されていましたので
この蔵を大事に保存するよう言われたそうです。
ちなみに乃木大将と吉田松陰は同じ萩ですし、年は離れていますが姻戚関係でも有ります。

 松陰先生が下田から江戸に送られる時詠んだ歌に
「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」

教育者として松下村塾で育てた明治の元勲たちが戦前の日本を作りました。  


Posted by いそさん at 08:54 Comments(2)